アキの宿題や、勉強の中で、
私が一番好き
というか、楽しみなものは、
「音読」
宿題として、やる事もあるが、
基本的には、自発的に行い、
カードに日付、読んだもの、回数などを記入する。
そして、
今日は宿題として、音読が。
予復習ですかな。
国語の教科書も、上下の上も終わり、
下になった。
読む文章も、更に長くなり、
漢字も多くなってきた。
2006.10.26.Thu / 22:57
2006.09.02.Sat / 22:02
先月から、ババに、
「どうしても行きたい」と言われていた温泉へ。
1、2度は来ていたようですが、
年?&ババのK自動車では、この頃辛いようで
ガス代ババ持ちと聞き、喜んで〜〜〜〜(^_^)/
まぁ、ガス代は、私も持ちになりましたが、
食事やらなにやらは、ババに持ってもらいました^_^;
行き先は、
川口町、「和楽美の湯」(わらびのゆ)
「どうしても行きたい」と言われていた温泉へ。
1、2度は来ていたようですが、
年?&ババのK自動車では、この頃辛いようで
ガス代ババ持ちと聞き、喜んで〜〜〜〜(^_^)/
まぁ、ガス代は、私も持ちになりましたが、
食事やらなにやらは、ババに持ってもらいました^_^;
行き先は、
川口町、「和楽美の湯」(わらびのゆ)
2006.07.21.Fri / 21:27
アキの通う学校は、昨日で給食が終わり
今日からアキは、
当分弁当です。
月曜が終業式、その後夏休み中は、
毎日、児童クラブで過ごす事となります。
となると、
毎日お弁当作りがあるわけで、
おかずにも困る・・・・
毎日、冷凍食品というのも・・・ねぇ・・・
幸い(?)
とり唐と、おにぎりさえあれば満足なアキ。
だがしかし、
そんな訳にもいきません。
トマトや、きゅうりなどは、自宅で採れるから助かる。
いろどり的に、黄色が無い。
そう、
簡単、定番と言うと、「たまご焼き」が、やはり欲しいところ。
が・・・・
私、たまご焼き、あまり好きではない。
子供の時には、必ず入っていたが、
味が無かったり、甘すぎたり、時に砂糖と塩を間違えたりな
たまご焼きでして(ーー;)
そして、
そもそも、甘いもの、甘いおかずは好きではない。
↓↓↓続き
今日からアキは、
当分弁当です。
月曜が終業式、その後夏休み中は、
毎日、児童クラブで過ごす事となります。
となると、
毎日お弁当作りがあるわけで、
おかずにも困る・・・・
毎日、冷凍食品というのも・・・ねぇ・・・
幸い(?)
とり唐と、おにぎりさえあれば満足なアキ。
だがしかし、
そんな訳にもいきません。
トマトや、きゅうりなどは、自宅で採れるから助かる。
いろどり的に、黄色が無い。
そう、
簡単、定番と言うと、「たまご焼き」が、やはり欲しいところ。
が・・・・
私、たまご焼き、あまり好きではない。
子供の時には、必ず入っていたが、
味が無かったり、甘すぎたり、時に砂糖と塩を間違えたりな
たまご焼きでして(ーー;)
そして、
そもそも、甘いもの、甘いおかずは好きではない。
↓↓↓続き
2006.04.09.Sun / 22:21
アキは長い保育園生活を終え、卒園し
晴れて小学校入学となったわけですが、
園生活、特に、年少時からは
「アキはきっと、何かやらかすだろう」と
時々に思っていました。
そして、私も含め、
三人の子供を育てたババにとっては
アキのやることなど、特に私の幼少に比べれば
取るに足らず、
がきんちょマーの足元に及ばないのである。
さて、私は生まれてから幼少、医者に通うことは
ババにとっては日課のような子でした。
それなりに成長し、
おかげさまで、それはもう、腕白な子に。
年少、年中は幼稚園でした。
お寺さんの幼稚園。
よって、礼儀作法も厳しく、
保育士さんたちも、厳しい人が多かったです。
ここでまず
「まわりブランコ流血事件」
まわりブランコの一部が折れていて、
くぐったりしていたら、
「スパッ」と左目上まぶたを・・・
いや〜〜すごかったです。あんなに血が飛ぶとは・・・
保育士さんが、真っ青な顔で、泣きながら
私を抱え、走ってくれたのを覚えていますm(__)m
そして
次は・・・・
「幼稚園脱走事件」
はい、そのままですね
歩いて、自宅に帰ってきちゃいました。
5Km以上はあろうかと思います。
園バスでの通園でしたので、バスと同じルート。
国道を、とぼとぼ歩いたのは覚えてます^^;
ちなみにこれ、2回やりました(^^ゞ
ひょこっと、自宅に帰ってきた私を見たババの顔は
これまた忘れられません。
何で脱走したかは、記憶にありませんが
よく、柱に縄でくくり付けられている子供の映像は
記憶にあります。多分、怖かったんでしょう(^^ゞ
そして、年長
引越しとともに、今アキが通う小学近くの保育園に。
「初日にマウントポジション事件」
図体でかい子が、番長風吹かしていたので
取っ組みあいの喧嘩になり
結果、マウントポジションからボコボコに・・・
当然、オヤジのゲンコツもたっぷり頂きました(>_<)
この大きな三つは、私もババも印象深い。
アキは、何もなくて良かったのかもしれない。
だが、小さいうちに何かやらかして、
自他の痛みや、親の涙をみて、罪悪感を植えつけた方が
良かったのかもしれない。
冒頭の通りだったので
他人様に頭を下げる覚悟は出来ていた(当然いやですが)
一応、力による問題解決がいかに無力か、
そして自他の痛みは教えているが
出来れば、就学前に、取っ組み合いの喧嘩の一つもやってくれれば
良かったと思うのは、軽率な親だろうか・・・?
ただ、今のご時世の教育
悪いことした子供にゲンコツ一つ落とせないのは
どうかと思う(ーー;)
晴れて小学校入学となったわけですが、
園生活、特に、年少時からは
「アキはきっと、何かやらかすだろう」と
時々に思っていました。
そして、私も含め、
三人の子供を育てたババにとっては
アキのやることなど、特に私の幼少に比べれば
取るに足らず、
がきんちょマーの足元に及ばないのである。
さて、私は生まれてから幼少、医者に通うことは
ババにとっては日課のような子でした。
それなりに成長し、
おかげさまで、それはもう、腕白な子に。
年少、年中は幼稚園でした。
お寺さんの幼稚園。
よって、礼儀作法も厳しく、
保育士さんたちも、厳しい人が多かったです。
ここでまず
「まわりブランコ流血事件」
まわりブランコの一部が折れていて、
くぐったりしていたら、
「スパッ」と左目上まぶたを・・・
いや〜〜すごかったです。あんなに血が飛ぶとは・・・
保育士さんが、真っ青な顔で、泣きながら
私を抱え、走ってくれたのを覚えていますm(__)m
そして
次は・・・・
「幼稚園脱走事件」
はい、そのままですね
歩いて、自宅に帰ってきちゃいました。
5Km以上はあろうかと思います。
園バスでの通園でしたので、バスと同じルート。
国道を、とぼとぼ歩いたのは覚えてます^^;
ちなみにこれ、2回やりました(^^ゞ
ひょこっと、自宅に帰ってきた私を見たババの顔は
これまた忘れられません。
何で脱走したかは、記憶にありませんが
よく、柱に縄でくくり付けられている子供の映像は
記憶にあります。多分、怖かったんでしょう(^^ゞ
そして、年長
引越しとともに、今アキが通う小学近くの保育園に。
「初日にマウントポジション事件」
図体でかい子が、番長風吹かしていたので
取っ組みあいの喧嘩になり
結果、マウントポジションからボコボコに・・・
当然、オヤジのゲンコツもたっぷり頂きました(>_<)
この大きな三つは、私もババも印象深い。
アキは、何もなくて良かったのかもしれない。
だが、小さいうちに何かやらかして、
自他の痛みや、親の涙をみて、罪悪感を植えつけた方が
良かったのかもしれない。
冒頭の通りだったので
他人様に頭を下げる覚悟は出来ていた(当然いやですが)
一応、力による問題解決がいかに無力か、
そして自他の痛みは教えているが
出来れば、就学前に、取っ組み合いの喧嘩の一つもやってくれれば
良かったと思うのは、軽率な親だろうか・・・?
ただ、今のご時世の教育
悪いことした子供にゲンコツ一つ落とせないのは
どうかと思う(ーー;)
2006.01.09.Mon / 23:04
履歴からスノーマンさんのブログを拝見していて、書初めで
ふと思い出した。
またも、私の子供の頃である。
小学校の2年生位から、習字を習っていました。
親の勧めもあったのですが
楽しく通っていました。
一級か2級位は、いったのかな
2回ほど教室を変えた(教室自体が無くなった)
ので、また最初からかよ〜〜とは覚えてます。
そんな中
父の正月休みだけは苦痛でした。
書初めです。
何故か、スパルタ書初め!
半日くらいは後ろに、横に、父が…
はらいが違う、とめが違う、筆の角度が違う…
ゲンコツですよ…
母(ババ)曰く、「何も教えてやれないが、字だけは綺麗な子に」
と、父は星一徹に(ーー;)
いやま〜、普段もゲンコツのデンプシーロール炸裂でしたがね(>_<)
本当に苦痛でしたが、小学校では毎年金賞を頂き、コンクールでは
秀作賞も頂きました。
それに対し、父は、大喜びするわけでもなく
良くやったという訳でなく…
子供心にも、「あれ〜〜?」とは思ってましたが。
長男なんですが、多分ゲンコツ炸裂での躾は
私だけです。
そして、出来るまで、キッチリ色々仕込まれたのも
私。
除雪、雪下ろし、冬囲い、習字…その他色々
アプローチはともあれ
感謝せざるを得ないですな。
そして思うのは、
アキにも、字は綺麗であって欲しいですね。
ゲンコツはなるべく無しで^_^;
けど、憎まれ役買うのも
父親の務めなんだよな〜〜
ふと思い出した。
またも、私の子供の頃である。
小学校の2年生位から、習字を習っていました。
親の勧めもあったのですが
楽しく通っていました。
一級か2級位は、いったのかな
2回ほど教室を変えた(教室自体が無くなった)
ので、また最初からかよ〜〜とは覚えてます。
そんな中
父の正月休みだけは苦痛でした。
書初めです。
何故か、スパルタ書初め!
半日くらいは後ろに、横に、父が…
はらいが違う、とめが違う、筆の角度が違う…
ゲンコツですよ…
母(ババ)曰く、「何も教えてやれないが、字だけは綺麗な子に」
と、父は星一徹に(ーー;)
いやま〜、普段もゲンコツのデンプシーロール炸裂でしたがね(>_<)
本当に苦痛でしたが、小学校では毎年金賞を頂き、コンクールでは
秀作賞も頂きました。
それに対し、父は、大喜びするわけでもなく
良くやったという訳でなく…
子供心にも、「あれ〜〜?」とは思ってましたが。
長男なんですが、多分ゲンコツ炸裂での躾は
私だけです。
そして、出来るまで、キッチリ色々仕込まれたのも
私。
除雪、雪下ろし、冬囲い、習字…その他色々
アプローチはともあれ
感謝せざるを得ないですな。
そして思うのは、
アキにも、字は綺麗であって欲しいですね。
ゲンコツはなるべく無しで^_^;
けど、憎まれ役買うのも
父親の務めなんだよな〜〜






